西尾家に代々伝わる「居守ヶ池」のお祭り@岐阜県恵那市
居守ヶ池とは?
岐阜県恵那市山岡町の山奥に実在する「居守ヶ池(いもりがいけ)」。
私の家では、毎年4月28日にここでお祭りをします。ご近所さん5軒ほどだけで行う小さなお祭りで、五平餅を焼いたり、持ち寄ったお酒を交わしたりしています。
幼い頃は、なぜここでお祭りをしているのか分かっていませんでしたが、最近、おばあちゃんからお祭りをする意味、お祭りを続けないといけない理由を聞きましたのでここに記録します。
西尾家で代々伝わる「居守ヶ池」のお話
私の父のおばあちゃんがよく話してくれたお話です。
いつの頃だったろうか。
お城が戦いに明け暮れていた頃である。
今の恵那郡山岡町の高町山も、ようやく緑に包まれ始めた、ある春の日。
草深い時坂を、杖にすがりながら歩いている一人の姫君がいた。
若葉の匂いを含んだ風の音にもふいに飛び立つ山鳥の羽根の音にも、はっとあたりを見回して身を縮めるほど姫の心はおびえていた。
今、武田信玄に攻め落とされた高町城の姫君、清姫である。
振り仰げば、夜明けの光を突き破るように城が燃えている。
姫は、坂の下の方に静かに光っている池に目をとめた。
「もうこれ以上、逃げ切れるはずがない。父上、母上、すぐにお傍へ参ります。」
脚を引きずりながら駆け寄って池へ一歩踏み入れた。
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「春とは言ってものう、山の水はまぁだつめてえぞ。」
坂の上から優しい声がした。
振り向くと、1人のじいさまが立っていた。
「さあ、わしの背におぶさりなせえ。」
「どこのどなたかは知りませぬが、わたしに関わり合えば、命を落とすことになるかもしれませぬよ。」
「なあに、みてのとおりのじい。もうこの世のなかにこわいものなぞなんもないですわい。」
姫は、どこか優しさがただよう爺様の背に知らぬ間におぶさっていた。背中を通して伝わってくる温かさでやっと震えが止まった。
「わしは、子供運が悪くてのう。せがれにもよめにも先立たれ、たった一人の孫娘も、そうじゃお前様ぐらいのとき、病気にとられましてな。おきよという名じゃった。」
「それでは、わたしと同じ名ではありませぬか。」
「どおりで、他人のような気がしなかったわけじゃ。」
じいさまは姫を納屋の隅におろし孫娘の野良着を持ってきた。
姫が野良着に袖を通すと、爺様は涙を浮かべた。
「そっくりじゃ。野良仕事が終わると、あの池で長い髪を洗っては風になびかせながらといておった。」
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そして、数日が過ぎた。
きよひめは、恐ろしい戦のあり様も、討ち死にされた父上や母上、燃え上がったお城、何もかも忘れて、じいさまの本当の孫娘のように思えていた。
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しかし、それも束の間。
ある日の夕方のこと。爺様はあわただしく納屋に駆け込んできた。
「追手が、下の村を一軒一軒調べておるそうな。さあ、あの池伝いに山を越えるのじゃ。姫は爺様に急き立てられて表へ出た。池の前まで来ると追手の声がする。
「もうだめだわ。」
いつかのように、池の水面を覗き込んだ。そこには、野良着姿の娘がうつっている。
「あぁ、おきよさんになりたかった。」
かんざしを取ると、そうしゅに余るほどの髪だった。
「ひとめでもいいから、この姿をじいさまに見せたい。いいや見てもらいたい。」
姫はくるりと向き直ると、今来た道をひきかえした。
「爺様、おきよです。」
爺様は、長い髪に手を伸ばそうとしたが、追手の声はもう戸口まで迫っていた。
「おぉ。おきよ。」
姫の着物を頭からすっぽりかぶって飛び出した。
「あ、姫がいたぞ!」
姫に成りすましたじいさまは、時坂を下って一気に池に身をひるがえした。
「逃すな!」
追手のやりがその後ろをめがけてとんだ。
「仕留めたぞ!」
「やや、姫じゃない。図ったな。まだ遠くへはいけまい。追え!」
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追手の去った池に、姫は立っていた。
「爺様。あなたの孫娘のおきよです。今から、お傍へまいります。」
長い髪を風になびかせながら、清姫は、池の中へ静かに足を踏み入れていった。
居守ヶ池のお祭りをしなかった年
4月26日の居守ヶ池のお祭り。ある年、このお祭りを怠ったことがあったそうです。皆さん忙しかったようで。
すると、次の日から、土砂崩れが発生したり、車が田んぼに落ちたり・・・。祟りが続きました。これは!と思い、慌ててお祭りをしたそうです。
お祭りというと楽しいものをイメージされますが、この地域のお祭りは「祟りを納める」ための儀式です。
昔は、よくこの池で、長い髪を洗っては風になびかせながら髪をといていた女の人を見たそうです。
今では、そのようなこともなく、穏やかな空気が流れています。
現在の居守ヶ池の写真
この地域には、昔から祟りが多くあったそうで、このようなお祭りがいくつかあります。
お祭りだけでなく、そこに込められている意味まで、受け継がなければと思いました。